龍神楊貴妃伝

空海と白居易と橘逸勢

●空海は、楊貴妃を知っていたか?

 空海は、宝亀5年(774)・・・吉備真備が亡くなる1年前に生まれています。私の仮説では、日本に渡ってきた楊貴妃は、空海の生年と同じ 宝亀(ほうき)5年(774)に亡くなっていて・・・空海が、楊貴妃と会った事は、なかった・・・と考えています。

 しかし、空海は、海を渡り、唐の国で密教を学びました。唐の国に渡った空海は、楊貴妃に強い関心をいだいていたのではないでしょうか?そして、同年代に 長安にいた白居易(はくきょい)のことも知っていたのではないでしょうか?

●白居易は、楊貴妃の事を調べていた・・・。

 楊貴妃の伝記「長恨歌(ちょうごんか)」を書いた白居易は、772年に生まれていま す。空海よりも2歳年上です。白居易は800年、29歳で阿倍仲麻呂 のように科挙(かきょ)の進士科(しんじか)に合格し、さらに806年には、高級官僚登用試験である才識謙茂明於体用科(さいしきけんもめいよたいよう か)に合格し、盩厔県(ちゅうちつけん)(陝西省(せんせいしょう)周至県(しゅうしけん))の尉(い)となり、同時に長恨歌を書いています。

 『白居易の「任氏行」・「古冢狐」』で白居易の書いた「任氏行」「古冢(こ ちょう)狐」という詩を紹介しました。
 白居易は、「古冢狐」の詩の中で名前を挙げていませんが、明らかに「楊貴妃」の事を意識しながら書いています。
 そして、「任氏行」も、楊貴妃をモチーフとして書いていた事は間違いないでしょう。白居易は、「長恨歌」を書く以前から、ずっと楊貴妃に興味を持ち調べ ていたと考えられます。

 「長恨歌」には、「馬嵬(ばかい)坡下(はか)泥土(でいど)中(のなか)、不見(ふけん)玉顏(ぎょくがん)空(むなしく)死處(しすところ)」とい う一節があります。
 この文は、馬嵬(ばかい)の泥土の中に、楊貴妃は埋まっていない・・・すなわち、楊貴妃は馬嵬で死んでいない・・・という意味にとれます。そして、「長 恨歌」の中で、白居易が描きたかったものが、「長恨歌」の後半部の・・・方士が蓬莱(ほうらい)に暮らす「楊貴妃」を訪ねて心を伝えるシーンにある事も間 違いないでしょう。(巻末に長恨歌全文を収録)

 すなわち、白居易は、「長恨歌」を書いた時点で、楊貴妃生存と日本への亡命の秘密にたどりついていたと考えられるのです。

●空海と白居易は、805年、同じ長安にいた。

 白居易は、仏教徒としても著名(ちょめい)です。晩年は龍門(りゅうもん)の香山寺(こうざんじ)に住み、「香山居士(こうざんこじ)」と号しました。 馬祖道一(ばそどういつ)門下の仏光如満(ぶっこうにょまん)や興善惟寛(こうぜんいかん)らの禅僧と交流があり、惟寛(いかん)や、浄衆宗(じょうしゅ うしゅう)に属する神照(しんしょう)の墓碑を書いたのは、白居易であると伝えられています。

 一方、空海は、804年に長安に入城し、同じ留学生であった橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に西明寺(さいみょうじ)に居住し、文人として、能筆家 (のうひつか)として、馬総(ばそう)、朱千乗(しゅせんじょう)、朱少端(しゅしょうたん)、曇清(どんせい)、鴻漸(こうぜん)、鄭士(ていし)な ど、多くの詩人と交流があったようです。もちろん、仏教家として、代宗(だいそう)・徳宗(とくそう)・順宗(じゅんそう)と3代にわたり皇帝に師と仰が れた長安(ちょうあん)青龍寺(せいりゅうじ)の恵果和尚(けいかおしょう)から伝法阿闍梨(あじゃり)位の灌頂(かんじょう)を受けて、成功を収め、そ の後、806年に長安の都を後にしています。そして、白居易は、この空海が長安に滞在していた時期(805年)に、同じ長安のはずれにある永崇里華陽観(えいすうりか ようかん)に居住し、牡丹の花の咲く・・・おそらく、4月頃、空海のいた「西明寺」を訪ねています。
参考 白居易年譜稿  西紀805「春、移居永崇里華陽観」
「有西明寺牡丹花時憶元九」
京都府立大学学術報告 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000057133

 空海と白居易は、互いに、詩人として、また、仏教家として著名な人物でありました。・・・そして、同じ時に、同じ所にいたこの2人が、その興 味、その交友関係から言っても、会っていなかった・・・・とは、私には、とても思えません。

●空海の朋友、橘逸勢の行動の謎

 空海と共に唐の国に渡り、同じ西明寺で暮らした朋友(ほうゆう) 橘逸勢(たちばなのはやなり)は、空海と共に、三筆の1人として並び称されています。逸勢は、ずっと空海と行動を共にし、一緒に日本に帰国しています。2 年間で、密教の法灯の全てを学び取った空海と違い、橘逸勢(たちばなのはやなり)は、唐の国で表向き大きな成果をあげているようには見えません。逸勢は、 空海に代筆してもらい、帰国嘆願書を出しています。これは、『橘学生(きつがくしょう)、本国の使に与うるがための啓』という題で『性霊集』に収録されて います。そこには、逸勢が、「自分は、語学が弱いので勉強が出来なかった。滞在費も尽き、音楽だけは学ぶ事があったので、これを成果に帰ろうと思いま す。」・・・と言った内容の事が書かれています。しかし、橘逸勢(たちばなのはやなり)は、唐の国で「橘秀才(きつしゅうさい)」と呼ばれていたと伝わっ ています。その逸勢が勉学を出来なかったわけがありません。いったい、逸勢は、何のために、唐の国に渡り、そして、何のために、あわてて帰ってきたので しょうか・・・だいたい、名門の生まれの逸勢が、なぜ、わざわざ、生命がけで留学生として唐の国に渡る必要があったのでしょうか・・・これは、一つの歴史 の謎とされています。そして、空海は、唐での生活をいろいろな文章に記録して残していますが、なぜか一番身近にいたはずの橘逸勢(たちばなのはやなり)の 行動については、ほとんど記載していません。
 
 実は、橘逸勢(たちばなのはやなり)は、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の孫に当たります。「野馬臺詩の書かれた理由」や「玉藻前はなぜ作られたのか?」でも書きま したが、橘奈良麻呂は、楊貴妃亡命の秘密を知っていたと思われる人物です。ひょっとすると、逸勢は、祖父の残した楊貴妃亡命の秘密を、唐の国に確認するた めに、そして、祖父にきせられた逆賊(ぎゃくぞく)の汚名をはらすために唐に渡ったのではないでしょうか?

●空海と楊貴妃事件のつながり

 それから、空海の俗名は、佐伯(さえき)眞魚(まお)です。橘奈良麻呂の事件では、後に述べますが、佐伯全成(さえきのまたなり)という人が、事件に巻 き込まれて自殺しています。
 佐伯眞魚は、四国の地方豪族の出身で、佐伯全成との間に血縁関係はないのですが・・・中央の佐伯氏は、地方の佐伯氏を統治しており、空海は、渡唐にあ たって中央佐伯氏の援助を受けていたと思われます。

 私は、名門、橘氏が、逸勢を楊貴妃事件調査のために唐に送り込むのにあたり、佐伯氏も、氏族を代表して、空海を逸勢の補佐として唐の国に送り込んだので はないかと想像します。(おそらく、佐伯氏と同族と言われていた大伴氏からも援助も受けていたでしょう。)

  私は、空海は、橘逸勢の手助けをしただけであって、始めは、楊貴妃渡来事件の事も知らなかったと考えていました。しかし、最近になって、空海が、その生涯 の極めて早い段階で楊貴妃渡来事件に興味を抱いて調べていた可能性に辿り着きました。

 空海の母は阿刀氏です。空海の最初の師匠になったのが、空海の母方の祖父 とも、伯父とも云われている阿刀大足です。
 阿刀氏といえば、続日本紀、天平18年6月18日条、吉備真備の親友であった玄ムの 弔伝に、玄ムが阿刀氏だと書かれています。また、私は、楊貴妃は、熊野に隠棲して・・・・この時、孝謙天皇の采女(うぬめ)であった熊野広浜の世話になっ ていたと考えているのですが・・・この広浜の家系である熊野直(くまののあたえ)も、やはり、阿刀氏だとされているのです。
参考 ウィキペディア 熊野国造 http://ja.wikipedia.org/wiki/ 熊野国造

 熊野直の阿刀氏や、玄ムの阿刀氏と阿刀大足の関係は、わかりませんが・・・つながっていた可能性が高いでしょう。もし、そうだと すれば、阿刀大足は楊貴妃事件の事をある程度知っていたかもしれません。空海は、阿刀大足から、楊貴妃事件の事を伝え聞いていたのではないでしょうか?

 入唐(にっとう)直前まで一私度僧であった空海が突然留学僧として浮上する理由は、今なお謎とされています。空海が、入唐のメンバーとして、楊貴妃事件の調 査目的のために選ばれたとしたら、この謎も解けるのではないでしょうか?

●長恨歌は、空海と白居易が接触した事によって生まれた

 「長恨歌」に書かれた方士が楊貴妃を捜しに行く話は、安史の乱の時代を生きた詩人・李益(りえき)(748〜827?)も「過馬嵬(かばき)」という詩 の中に、
「南内真人悲帳殿,東溟方士問蓬萊。」
「南内の真人(しんじん)(その頃、南内にいた玄宗の事)、帳殿(ちょうでん)に悲しみ、東溟(とうめい)の方士 蓬莱(ほうらい)を問う。」
と詠(うた)っています。

 玄宗が、方士に、蓬莱に向かって、楊貴妃を捜しに行かせたという噂は、きっと、白居易も耳にしていたでしょう。

 先にも、書きましたが、白居易が「長恨歌」を書いたのは、空海と橘逸勢が唐の国を去ったと同じ806年です。

 空海と橘逸勢が伝えた楊貴妃亡命の事を聞いた白居易は、そこから、任氏行を書き改め、長恨歌を生み出す事になったのではないでしょうか?

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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