龍神楊貴妃伝

キツネとヤタガラスが語る楊貴妃信仰

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 今まで、ずっと、熊野にキツネが祀られているというお話しをしてきました。しかし、現在の熊野三山では、稲荷(キツネ)が祀られて いる姿を見かけません。ですから、熊野にキツネが祀られているという事を納得しない人もいるでしょう。代わりに、眼につくのが、三本足のカラス・・・八咫 烏(やたがらす)です。

●八咫烏は、三本足烏になった

 八咫烏は、日本の現存する最初の歴史書である「古事記(こじき)」と「日本書紀(にほんしょき)」に、神日本磐余彦尊(かむやまといはれひ このみこと)(古事記では、神倭伊波礼毘古(かむやまといはれひこ))、後(のち)の神武天皇(じんむてんのう)を案内する大カラス(咫は、長さの単位で 約18cm。したがって、八咫は、1m40cmぐらい・・これを翼長だとすれば、北海道などにいる日本最大のカラス・・・ワタリガラスとほぼ同じ大きさ) として登場します。しかし、ここには、八咫烏が、三本足であるとは書かれていません。八咫烏が三本足になったのは、中国に伝わる太陽に棲む三本足の カラス・・・金烏(きんう)と結びつき、同一視されるようになったためだと思われます。

●中国から来た三足烏伝説

 九尾の狐の謎でも触れた「千字文(せんじもん)」に書かれた李暹(りせん) の注釈には、「太陽の中には三本足の烏(からす)がいる。それで太陽を 金烏と呼ぶ。太陽の色は赤く、扶桑(ふそう)(中国の東方の海中にあるという神木)から登り、咸池(かんち)(天にある池で、太陽が水浴するという)に入 る。」とあります。
 熊野を古語で「ユヤ」と言いますが、「ユヤ」は、陽谷・・・すなわち、太陽の隠れる谷・・・三本足の烏の棲む咸池の意味があると言われています。

●九尾狐と三足烏は西王母の使いの霊獣と霊鳥だった

 鄭州(ていしゅう)にある漢代の画像石には、一つの場面に、左側に九尾の狐が、右側には、扶桑(ふそう)の樹にのぼる三本足の烏が並べて描かれていま す。
 このように、九尾の狐と三本足の烏が並べて描かれた画像は、いくつもの中国古代の図画に見られます。金烏や九尾の狐は、古代中国の伝説の美女であり、 女仙である「西王母」に使える存在と考えられていました。
狐と三足烏
四川省雅安高颐墓阙及石刻
九尾狐三足烏
九尾狐と三足烏
三足烏、九尾狐、鳳凰畫像(漢代)
鄭州市博物館所蔵拓本
京都大学人文科学研究所所蔵資料
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_g_b/html/d01-18.html
西王母画像
西王母画像
四川省成都市新都区出土
西王母画像
西王母画像
四川省成都県新繁清白郷1号墓出土
画像磚西王母像後漢
西王母画像

●楊貴妃は西王母だ!

董双成
董双成
百度百科 http://baike.baidu.com/view/829334.htm  より
 西王母とは、太陽と月を支配する女神で、あらゆる女仙の統率者です。死を司(つかさど)ると云われ不老不死の象徴でもあります。道 教では、「太真西王母」と呼ばれる至上の存在で、段成式(だんせいしき)(803?〜863年)という唐 代の詩人は、その著書「酉 陽雑俎(ゆうよう ざっそ) http://ja.wikipedia.org/wiki/酉陽雑俎」の中で、西王母の 本名を「楊回(やんふぇい)」であると述べています。

 私は、楊貴妃と西王母は、同一視されていたと考えています。
 明末期の笑話集「笑府(しょうふ)  http: //ja.wikipedia.org/wiki/笑府」 の中に落語の「野ざらし」のような話があり、その中に、楊貴妃の幽霊が登場し「妃(フェイ)」と名乗る シーンがあ ります。楊回(やんふぇい)とは、楊貴妃(やんくいふぇい)の事を表しているのではないでしょうか?(正確には、回は、hui、妃は、fēiと発音する)
 酉陽雑俎は、白居易が長恨歌(806年)を発表した後に書かれました。

 白居易は長恨歌の中で、楊貴妃が「太真」という仙女として蓬莱山に暮らしている事を書 いています。「太真」は、玄宗が、息子の李瑁(りぼう)から楊貴妃 を奪う時につけた女道士としての号でもあるのですが・・・私は、これを、太真西王母の事を表していると考えます。

 長恨歌には、道士が楊貴妃を訪ねるシーンで「小玉(しょうぎょく)をして双成(そうせい)に報ぜしむ」とあります。中国の伝説には、董双成(とうそう せい)という笙の名手とされる仙女があり、双成は、西王母の侍女だとされているのです。さらに、詩の最後の方に、「七月七日、長生殿。夜半(やは ん)人無 く私語(しご)の時」ともあります。7月7日の深夜に逢瀬(おうせ)を楽しむというお話は、西王母と前漢時代の皇帝で ある武帝の間にも伝えられていま す。長恨歌では、ずっと玄宗を唐の皇帝ではなく、漢の皇帝と書いていますが、、これは、現政権(唐)をはばかっただけではなく、この西王母と武帝との交情 をふまえたものでもあったでしょう。

 長恨歌で、楊貴妃が蓬莱の支配者として描かれているのは、あきらかです。そして、それが、同時に西王母として、描かれているのも、間違いありません。

  西王母は、西の霊郷である崑崙山(こんろんざん)に棲むといわれ、東の支配者は、男仙を統治する東王父であるとされています。しかし、東王 父 は、西王母に対応する形で創作されたものと言われています。当時の人は、東の霊郷、蓬莱山の支配者も、やはり西王母であると考えていたでしょう。

 熊野の神の使いが狐と三足烏であり、九尾の狐と三足烏が西王母の使いであること。そして、楊貴妃が西王母と同一視されていたこと。これは、明らかな事実 です。

●清少納言も憧れた楊貴妃

 平安時代の中期、清少納言は枕草子の中で「書は文集、文選」と「長恨歌」の載る「白氏文集」の事をあげています。また、「木の花は」という文章の中で は、「楊貴妃の、帝の御使ひに会ひて泣きける顔に似せて、 『梨花一枝、春、雨を帯びたり。』 など言ひたる」と書いています。

 平安時代に、長恨歌が、日本人によく知られた詩であった事は、間違いありません。

 長恨歌の中で、楊貴妃と西王母が同一視されている事も、当時の日本人は知っていたでしょう。

 熊野参詣が盛んに行なわれるようになったのは、平安時代の末期です。
 
 人々は、楊貴妃が熊野に祀られていると考えていた・・・。
 その楊貴妃への憧れが、熊野のシンボルを三本足のカラスにした・・・私は、そう考えます。


参考
三足烏
而三足乌和九尾狐常作为瑞鸟瑞兽列于西王母座旁。

三足烏と九尾狐は、常に西王母の座る傍らに列する瑞鳥であり、瑞獣である。

太真西王母
 道教创立以后,西王母被纳入神系,成为道教至高无上的女神。东晋葛洪在《枕中书》中称其为元始天王与太玄圣母通气结精后 所生之女,号日,是西 汉夫人,“所治群仙无量也”

道教の創立以降、西王母は神の系列に奉ぜられ、道教の至上の女神と成り崇められている。東普の葛洪(283〜343)は「枕中書」の中で元始天王(盤 古)が太元玉女と結ばれ生まれた女だと称し、号を曰く、是は、西漢(前漢)夫人であり、あらゆる仙人の統治者であるとしている。

笑府(しょうふ)楊貴妃
ある男が、野ざらしになっていた骸骨を見つけ、気の毒に思って供養をしてやる。その晩、男の家の戸を叩く者があり、「誰だ」と聞くと「妃(フェイ)」と答 える。さらに尋ねたところ「私は楊貴妃です。馬嵬で殺されてから葬られることもなく野ざらしになっていたのを、あなたが供養して下さいました。お礼に夜伽 をさせて下さい」と答え、その晩、男と夜を共にした。これを聞いてうらやんだ隣の男、野原を探し回ってやはり野ざらしになった骸骨を見つけ、供養したとこ ろ、その晩やはり戸を叩く者があり、「誰だ」と聞くと「飛(フェイ)」と答える。「楊貴妃かい」と訊くと「俺は張飛だ」という答え。仰天して「張将軍には 何ゆえのお来しで」と訪ねると、張飛曰く「拙者、漢中で殺されてから葬られることもなく野ざらしになっておったのを、貴殿に供養していただいた。お礼に夜 伽をさせていただきたい」
ウィキペディア 楊貴妃 http://ja.wikipedia.org/wiki/ 楊貴妃

董双成
 《浙江通志》载:董双成,西王母之侍女  《长恨歌》曰:“金阙西厢叩玉扃,转教小玉报双成。”小玉、双成都是王母身边的玉女,尤以双成更为历代文人所爱。文人们偏爱双成的原因很简单,就是她曾 和一个著名文人――东方朔有牵连,给嗜好YY的文人提供了想入非非的发挥余地。李白词《桂殿秋》曰:“仙女下,董双成,汉殿夜凉吹玉笙。曲终却从仙宫去, 万户千门惟月明。”

 「浙江通志」には、董双成は、西王母の侍女だと載っている。
「長恨歌」に曰く、”金闕の西廂、玉扃を叩き、転じて、小玉をして双成に報ぜしむ” 小玉、双成、これは共に、王母の身辺の世話をする美女の事である。特に、双成は、歴代の文人が、もっとも愛した存在である。文人達が双成を偏愛した原因 は、しごく簡単な事だ、どうしても彼女を讃えた一介の著名人たちーー東方朔(BC161〜BC93)達の存在が有るからである、これがYY(中国の芸術サ イト)の文人達の嗜好を呼び、想い入れを与えているのである。李白(701〜762)の詞、「桂殿秋」に曰く、”仙女、董双成は下りて、漢殿の夜は、涼し く、玉笙を吹く。曲を終わって、仙宮に去れば、万戸、千門、ただ、月明かりのみである。

西王母と武帝
《汉武故事》、《汉武帝内传》及六朝小說中也有汉武帝与西王母的常見情节。
汉武帝是中国历史上有名的信仰仙道的皇帝,七月七日那天听闻西王母即将降临宫殿而�忙做好迎接西王母的准备,到了七月七日深夜二更时,西王母驾乘着紫云车 降临到汉武帝的宫殿。汉武帝将西王母迎接到宫殿后,西王母则赠予汉武帝七颗仙桃与之享用(有的文献则说是5枚仙桃)

『漢武故事』『漢武帝内伝』及び、六朝の小説の中で漢の武帝と西王母が情を交わした事が書かれている。
漢の武帝は、仙道を信仰した皇帝として、中国歴史上 有名である。7月7日、とつぜん西王母がまもなく降臨すると聞いて宮殿内はあわただしく西王母を歓迎する準備を行なった、七月七日深夜二時になって、西王 母は駕篭に乗って、武帝の宮殿に降りてきた。武帝は宮殿で西王母を迎えると后として接し、西王母は武帝に7個の仙桃を贈った(5個の仙桃とする文献もあ る)。

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龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」


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