龍神楊貴妃伝

宇佐八幡神託事件4(再び、称徳天皇の宣命)

●称徳天皇の新たな宣命と宇佐八幡神託事件の終結

 前の宣命体(せんみょうたい)から5日後、10月1日の称徳天皇(しょうとくてんのう)の宣命体(せんみょうたい)(天皇のお言葉)を続日本紀から長い ですが・・・抜粋(ばっすい)します。

『口に出すのも畏(おそ)れ多い新城(にいき)の大宮(お おみや)(平城宮(へいじょうきゅう))に天下を治(おさ)められた中(なか)つ天皇(元正天皇(げんしょうてんのう))が臣(しん)たちを召(め)し、 ご遺言(ゆいごん)として「汝(なんじ)らを召(め)したのは、朝廷にお仕えする様(さま)を、教えようとして召(め)したのである。心穏(おだ)やかに してみな承(たまわ)れ。まずは貞(ただ)しく明(あき)らかに浄(きよ)い心をもって、朕(ちん)の子である天皇(聖武天皇(しょうむてんのう)。実際 は甥(おい))にお仕(つか)えし、お護(まも)り助け申し上げよ。次にはこの太子(阿部内親王(あべないしんのう)。後の称徳(しょうとく)天皇)に仕 (つか)え、お助(たす)け申し上げよ。朕(ちん)の教える言葉に従わないで、王(おう)たちが自分の得(え)ることのできない帝(みかど)の尊(たっ と)い位を望み求め、人を誘って悪く汚い心で道理に背(そむ)いた陰謀(いんぼう)を企(くわだ)て、臣下(しんか)たちはそれぞれの贔屓(ひいき)に よって、この人についたり、彼(か)の人に頼(たよ)ったり、頑迷(がんめい)で無礼(ぶれい)な心を抱(いだ)いてよこしまな謀(はかり)ごとを構(か ま)えたりする。このような人たちを、朕(ちん)は必ず天翔(あまかけ)り見て、退(しりぞ)け捨て除(のぞ)くであろう。彼らには天地(てんち)の与え る幸せもないであろう。この様(さま)を知って、明らかに浄(きよ)い心をもって仕える者を、朕は慈しみ哀れんで、よく取り計らうものであるぞ。またこの ような人は、天の与える幸せを蒙(こおむ)り、後世まで一門が絶えることなく、お仕えし、栄えるであろう。ここのところを知って、謹(つつし)んで浄(き よ)い心でお仕えするように申し上げるために召したのである。」と仰(おお)せられる元正天皇のお言葉を、みな承(うけたまわ)れ』

 『口にするのも畏(おそ)れ多い朕(ちん)の天(てん)の帝(みかど)の帝皇(ていおう)(聖武天皇(しょうむてんのう))がお言葉として「朕(ちん) (聖武(しょうむ))に仕える緒臣(しょしん)たちで、朕(ちん)を君主と思う人は、大皇后(だいこうごう)(光明子(こうみょうし))によくお仕(つ か)え申し上げよ。朕を思っているようにお仕えし、朕と違うとは思うな。次には朕の子の太子(たいし)(阿部内親王(あべないしんのう))にも明らかに浄 (きよ)い心で二心なくお仕え申し上げよ。朕に子が二人いるということはない。ただこの太子一人だけが朕の子である。この朕の心を知って皆の者はお護(ま も)り助けお仕え申し上げよ」と仰(おお)せられた。』

 『さらに「朕は身体が疲れているように思うので、太子に皇位の継承(けいしょう)をお授(さずけ)けしよう」と仰(おお)せられ、朕(ちん)(称徳天皇 (しょうとくてんのう))に「天下の政治は慈(いつく)しみの心をもって治(おさ)めよ。また仏法(ぶっぽう)を栄(さか)えさせ、出家者(しゅっけ しゃ)を優遇(ゆうぐう)し、次に諸々(もろもろ)の天神地祇(てんしんちぎ)の祭祀(さいし)を絶やさず、下は天下の諸々(もろもろ)の人民(じんみ ん)を憐(あわ)れむようにせよ」と仰(おお)せられた。』

 『また「この天皇の位というものは、天が授(さず)けようと思われない人に授(さず)けても保(たも)つこともできず、またかえって身を滅ぼすものであ る。朕(ちん)が立てた人であっても、汝(なんじ)の心で良くない人と知り、自分の目にかなう人を立てることは、心のままにせよ」と仰(おお)せられた』

 『また「朕(ちん)が東人(あずまびと)(東国の人)に太刀(たち)を授(さず)けて仕(つか)えさせるのは、汝(なんじ)の身辺(しんぺん)の護衛 (ごえい)として護(まも)らせようと思ったからである。この東人(あずまびと)たちは常に「額(ひたい)に敵の矢が立っても、背中には矢を立たせまい ぞ』と言って君を一心(いっしん)に護(まも)る人たちである。この心を知って、汝(なんじ)は彼らを仕(つか)えさせよ」と仰(おお)せられた言葉を朕 (ちん)は忘れない。このような事情(じじょう)をわきまえて、諸々(もろもろ)の東国(とうごく)の人たちは謹(つつし)んで仕えるように。』

 『さて、口にするのも畏(おそ)れ多いお二人の天皇(元正と聖武)のお言葉を、朕(ちん)は頭上(ずじょう)に承(たまわ)り、昼も夜も念持(ねんじ) しているけれど、理由もなく人に言い聞かせることもできずにこれまできた。いま機会を得て、諸々の人に聞かせたいと召(め)し集めたのである。それ故(ゆ え)、いま朕(ちん)が汝らに教え申すお言葉をみな承(たまわ)れ』

 『そもそも君主(くんしゅ)の位というものは願(ねが)い求めても得ることは極(きわ)めて難(むずか)しい、ということをみな知っているが、先(さ き)にこの位を得(え)ようとした人は、謀(はかりごと)が拙(つたな)かったのである。我こそは十分うまく謀ったので必ず成功するだろうと、いろいろに 願い祈(いの)ったりするけれども、やはりそこは緒聖(しょせい)や天神地祇(てんしんちぎ)や歴代天皇の御霊(みたま)がお許しにならず、お授(さず) けにならないので自然(しぜん)に人の口から漏(も)れたり、自分の口からも出てしまって、かえって身を滅(ほろ)ぼし災(わざわい)を被(こうむ)り、 ついには己も他人も罪(つみ)に陥(おちい)ってしまったのである。このため天地を恨(うら)み、君主(くんしゅ)や緒臣(しょしん)をも恨(うら)む。 しかし、それでも心を改(あらた)めて、直(ただし)く浄(きよ)くするならば、天地の神々も憎(にく)みたまわず、君も見捨(みす)てられず、幸せを蒙 (こおむ)り、身も安らかとなるであろう。生きている時は官位(かんい)を賜(たまわ)って栄(さか)え、死後は善(よ)い名を後世に伝えられることだろ う。古(いにしえ)の賢人は身は灰と共に地に埋もれても、嘉(よ)い名は烟(けむり)と共に天に昇ると言っている。また、過ちであることを知ったなら必ず 改めよ、善いことを知ったなら忘れるな、(出典「千字文」)とも言っている。それなのに、口では自分を浄(きよ)らかだと言いながら心の穢(きたな)い人 を、天は守ってくれず地は容(い)れないのである。この教えを忘れず保(たも)つ人は褒(ほ)め称(たた)えられ、捨てる人は謗(そし)りを招くであろ う。やはり朕(ちん)が尊(たっと)び拝(おが)み読誦(どくじゅ)する「最勝王経(さいしょうおうきょう)」の王法正論品(おうほうせいろんほん)に、 もし人が善悪の所業(しょぎょう)をなせば、今この現在、緒天王(しょてんのう)たちは護衛していて、その受けるべき善悪の報(むく)いを示すであろう。 もし国民が悪業(あくごう)をなしているのに王たる者が見逃し、禁じなかったならば、これは秩序ある正しい道理とはいえない。悪を罰するには法に定めるよ うにすべきである、と述べられている。この故に、朕(ちん)は汝(なんじ)らを教え導くのである。現世においては世間の栄華(えいが)や幸福を蒙(こお む)り、忠(ただ)しく浄(きよ)い名を顕し、後世では人間世界・天人世界の勝れた楽しみを受けて、ついには仏になれると思って、皆にこのことを教えるの である』

 このように、称徳(高野)天皇は、道教を天皇とさせる事を、 否定し、ここに「宇佐八幡神託事件」は、終結しました。

●本当に道鏡は「天皇」になろうとしたのか?

 道鏡は、本当に天皇になろうとしていたのでしょうか?この宣命を見るかぎり、道鏡は、天皇になりたいという野望をいだいていたように見えます。しかし、 少なくとも、称徳天皇が亡くなるまでは、道鏡は罪に問われていません。また、称徳天皇が亡くなって後も、政界からは追われますが、造下野国の薬師寺別当と なり、幸せに暮らしたと言われています。

 この天皇位簒奪未遂事件から、道鏡には、希代の大悪人というレッテルが貼られています。しかし、続日本紀の記述を読んで、その行なった事を比べても、道 鏡が少なくと も、恵美押勝のような専制政治を行なっていたとは考えられず、私には、それほどの悪人であったとは思えません。

 おそらく、前の宣命を考えても、道鏡に天皇位を与えようとしていたのは、道鏡の取り巻きや称徳(高野)天皇自身であったのではないでしょうか?

●もしも、道鏡が「天皇」になっていたら?

 もし、道鏡が「天皇」になっていたら・・・・「万世一系の天皇」という考えは、ここで崩れていたでしょう。そうすれば、幕末から昭和初期に発生・発達 し、狂信者や軍国主義者達に よって利用され、日本を世界戦争の道に突き進んでいかさせることになった「天皇教」という思想が生まれる事もなかったでしょう。

 これが、良かったことか・・・悪かったことか・・・・・我々は、if(もしも)の世界に生きる事は出来ず、その後、どのような歴史と世界が待ち受けてい たか・・・私には、想像もつきませんが、この現代日本の姿も、大きく変化していた事は、間違いない事に思えるのです。

解明された世界を強震させる真実のミステリー

どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

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