●称徳天皇の激怒
称徳(高野)天皇は、清麻呂の持ち帰る神託(しんたく)を、一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待ちわびた事でしょう。
しかし、やっと届いた清麻呂の報告は、称徳天皇が望んだものではなく、道鏡が皇位に立つ事を否定するものでした。
称徳天皇は激怒します。
続日本紀から、神護景雲(じんごけいうん)3年(769)9月25日の宣命体(せんみょうたい)(天皇のお言葉)を抜粋します。
『いったい臣下(しんか)というものは、君主に従い、浄く貞(ただ)しく明るい心をもって君主を助け守り、また君主に対しては無礼な面持(おもも)ちを
せず、陰(かげ)で謗(そし)らず、よこしまで偽(いつわ)ったり、へつらい曲がった心を持ったりせずに仕(つか)えるべきものである。それなのに、従五
位下・因幡国(いなばのくに)員外介(いんがいのすけ)の輔治能(ふじのの)真人(まさと)清麻呂(きよまろ)は、その姉(あね)法均(ほうきん)と悪く
よこしまな偽りの話を作り、法均は朕(ちん)に向かってその偽りを奏上した。その様子を見ると、顔色(かおいろ)・表情といい、口に出す言葉といい、明ら
かに自分が作ったことを大神(おおかみ)のお言葉と偽って言っていたと知った。問い詰めたところ、やはり朕が思ったとおり大神のお言葉ではないと判断でき
たのである。それで国法にしたがって両人を退(しりぞ)けるものである。』
『このことは、他の人が偽(いつわ)りですと申し上げたからではなくて、ただその言葉が道理に合っておらず、矛盾(むじゅん)していたからである。面持
(おもも)ちも無礼(ぶれい)で、自分の言うことを天皇が聞き入れて用いるようにと思っていたのである。天と地が逆さまになるというが、まさにこれよりひ
どいものはない。だからこれは、緒聖(しょせい)(仏(ほとけ)菩薩(ぼさつ)や諸天(しょてん))たちや天神地祇(てんしんちぎ)が偽りであると現され
悟らされたのである。ほかに誰があえて朕(ちん)に偽りであると奏上(そうじょう)しようか。やはり人が奏上せずとも、心の中が悪く汚(きたな)く濁(に
ご)っている人は、必ず天地がそのことを現し示し給(たま)うものである。この故に、人々は自分の心を明らかに清く貞(ただ)しくして、謹(つつし)んで
仕えるようにせよ』
『また、このこと(清麻呂・法均のこと)を知っていて、
清麻呂らと共に謀(はか)った人がいることは知っているが、君主は慈(いつく)しみをもって天下の政治を行うものであるから、この度(たび)は慈(いつ
く)しみ哀(あわ)れんで免罪(めんざい)とする。しかし、このような行為が重なった人は、国法にしたがって処分するものである。このような事情を悟(さ
と)って、先(さき)に清麻呂(きよまろ)らと心を合わせて、一つ二つのことを共謀(きょうぼう)した人たちは、心を改めて、明らかに貞(ただ)しい心を
もって仕えるようにせよ』
『また清麻呂らは、忠実に仕える臣下(しんか)と思えばこそ姓を授(さず)け、相応(そうおう)に取り計らいをしてきたのである。今は穢(きたな)い臣
下として退(しりぞ)けるのであるから、前に与えた姓は取り上げて、代わりに別部(わけべ)とし、その名も穢麻呂(きたなまろ)と変える。法均(ほうき
ん)の名も、もとの広虫売(ひろむしめ)にかえすことにする』
『また明基(みょうき)(法均と同心(どうしん)の尼(あま))は、広虫売とは身体(からだ)は別であるけれど、心は一つであると知ったので、その名を取り上げて還俗(げんぞく)させ、同じく退(しりぞ)ける』
まったく、まるっきり大人(おとな)げない・・・・利(き)かん坊のような詔(みことのり)です。
しかし、そのあまりの怒りに、周りの人々は怖れ震(ふる)えて・・・意見を挟(はさ)む事の出来る人間は、たった1人を除いてはいなかったでしょう。
●配流にされた清麻呂と広虫
清麻呂(きよまろ)は官職(かんしょく)を解かれて因幡(いなばの)員外介(いんがいのすけ)に左遷(させん)されました。さらに、その途中(とちゅ
う)、まだ、任地(にんち)に就(つ)いていないうちに、次の詔(みことのり)があって、官位(かんい)を剥奪(はくだつ)し籍(せき)を削(けず)っ
て、大隅国(おおすみのくに)に配流(はいる)されました。
姉の法均(ほうきん)は還俗(げんぞく)させられて、備後国(びんごこく)に配流(はいる)されました。
このように、称徳(高野)天皇は、まるっきり、法均と清麻呂の言葉を、偽(いつわ)りであると全否定しました。
●奇妙な称徳天皇の対応
しかし、歴史を振り返ると・・・・称徳(高野)天皇は、法均と清麻呂の言葉を受け入れ、道鏡に皇位を授(さず)ける事を諦(あきら)めたように思えます。
この裏(うら)には、いったいどんな事があったのでしょうか?
|