龍神楊貴妃伝

高野山縁起1(飛行三鈷の伝説)

●高野山縁起

 高野山は、空海によって開山されました。
 高野山の開山は、大きく言って3つの伝説に包まれています。

 1.空海は、明州(めいしゅう)(現在の寧波(ねいは))の港から東の空に三鈷(さんこ)を投げ、その三鈷(さんこ)が、高野山の松の木にひっかかって いた。

 2.空海は、大和国(やまとのくに)宇智郡(うちのごおり)で、2匹の犬を連れた狩人と出会い、高野山を紹介された。

 3.空海は、丹生都姫(にうつひめ)の霊視を見て、丹生都姫(にうつひめ)から高野山を譲り受けた。
 これから、一つ一つ検証と解説を加えていきます。

●空海が伝法灌頂の継承者として選ばれたのは何故か?

 空海は、時の唐の皇帝である順宗皇帝に謁見し、さらに、密教の師である恵果(けいか)に出会い、わずか2ヶ月で全ての伝法を伝えられ、他の千人にものぼる弟 子を差し置いて、密教の伝法の正式伝承者、伝法阿闍梨(あじゃり)の灌頂(かんじょう)を授けます。

 私は、空海は、天才であったと思います。あったとは思いますが・・・ただ、それだけで、このような偉業をなす事が出来たでしょうか?

 天才もチャンスがなければ・・・その力を理解出来る能力のあるものに出会えなければ、それは、ただの変人です。
 日本にいた時の空海は、まさに、他人に理解されない・・・名も知れない変人でした。
 唐に渡った空海は、チャンスをつかむため、自 分の持つ楊貴妃の情報を徹底的に利用したのではないでしょうか?
 その情報を利用して、順宗に謁見し、そこから、その師匠である恵果(けいか)に、その名が伝わるように計算したのではなかったでしょうか?

 恵果は、746年の生まれです。馬嵬事変が起るのは756年ですから、楊貴妃の史暦上の死は、恵果が10歳の時です。
 恵果は、安史の乱の時代に精力的に教化活動を行い、調伏の修法を行い尊敬を集めた不空の弟子で、恵果は、8歳の時に、不空に出会い、不空は恵果を実子のように慈しんだと伝えられています。

 少年の恵果は、不空に連れられ、宮廷も訪れた事でしょう。
 そして、そこで楊貴妃に会っていたかもしれません。もし、そうだとすれば、少年は、その美しい女性にどんな感情をいだいたでしょうか?いや、そんなこと がなかったとしても、不空の弟子であった恵果は、少なくとも、玄宗皇帝と楊貴妃に、特別な想いを持っていたに違いありません。だからこそ、楊貴妃の情報を伝えてくれた空海の来訪を心待ちにして喜んで迎えたのではないでしょうか?

 その後、空海が入門してから、6ヶ月後に恵果が亡くなり、空海は、弟子を代表して恵果の葬儀(そうぎ)を執り行った後に、唐での20年の研学 の予定を2年で切り上げて、橘逸勢と共に、日本に戻ります。

●日本の朝廷が、2年という短いサイクルで遣唐使船を送り込んだのは何故か?

 橘逸勢と空海の楊貴妃亡命事件の調査が、白居易との接触(せっしょく)に よって、思いもかけず、スムーズに進んでいる事は、先に帰国した遣唐大使・藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)から桓武天皇に報告されたでしょう。

 藤原葛野麻呂らが帰国してすぐに高階遠成(たかしなとおなり)が、遣唐使判官として唐に渡ってきます。日本の遣唐使が、この ようにわず かな間隔をおいて送り込まれた例は他にありません。
 この時、橘逸勢と空海を唐に送り込んだ桓武天皇(かんむてんのう)は健康を害していました。桓武天皇は、彼ら(主に、 橘逸勢)のすみやかな帰国と調査報告を望み、高階遠成が使わされたのではないでしょうか。

 急な帰朝命令を受ける事になった 橘逸勢は、あわてたでしょう。なにしろ、 橘逸勢は、楊貴妃の調査を行なって来ただけで、このとき表向きの成果はあげていなかったのですから・・・そこで、前章「空海と白居易と橘逸勢」に述べたように、逸勢は自分を無能に見せるため、空海に啓(上 官に提出する公文章)を書かせ、唐の朝廷に提出したのだと、私は考えます。

●空海が明州(寧波)の港から投げた三鈷杵とは?

 この帰国の途につく直前、明州(めいしゅう)(寧波(ねいは))の港での出来事として伝えられているのが、1の伝説です。
 空海は、懐(ふところ)から三鈷杵(さんこしょう)(密教の法具の一つ)を取り出すと、密教を伝えるに相応(ふさわ)しい場所があれば示したまえと祈願 し、日本に向かって投げたといいます。
 そして、この三鈷杵は、後に、高野山の松の枝にひっかかっているのが見つかったと伝わります。
 これを飛行三鈷杵(ひぎょうさんこしょう)といい、刃が一本折れた三鈷杵が高野山の至宝(しほう)として伝わっています。(写真)
飛行三鈷

 この飛行三鈷の伝説の意味する事は何でしょうか?
 それは、もちろん、空海の高野山を作った目的が、唐の国で求めた願いにあった・・・という事を意味しているのでしょう。

 そして、その願いですが・・・私は、飛行三鈷の伝説には、密教を広め実現させるための道場を作るという以外の、もう一つ別の意味が隠されていると思って います。

 しかし、今は、まだ、その事を述べる段階ではありません。その正体については、「三体月伝説 の本当の意味」で触れる事にしましょう。

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どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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