龍神楊貴妃伝

野馬臺詩の解読(安史の乱が書かれた野馬臺詩)

注意事 項で す!
  今から、野馬臺詩の解読と解釈を始めますが、唐の国の歴史や楊貴妃の生涯について、ある程度の知識がない と、読 んでいただいても、たぶん、意味がわかりません・・・。
 知識に自信のない方は、先に、「楊貴妃の生涯と生存の可能性について」を読んでから、次に おすすみください。

●野馬臺詩に書かれた安禄山の反乱

 それでは、いよいよ「野馬臺詩」の解読にとりかかりましょう。
 昔から言われている読み方は、無視する事にしました。私は、宝誌の予言書として「野馬臺詩」を読もうとしているのではありません。楊貴妃の謎が、この 「野馬臺詩」に書かれているとすれば、元の文そのものに意味が隠されているかもしれない・・・・。
 もう一度、元の文を見直してみましょう・・・。(縦書きを横書きにしています。)

  始定壊天本宗初功元建
  終臣君周枝祖興治法主
  谷孫走生羽祭成終事衝
  塡田魚膾翔世代天工翼
  孫子動戈葛百國氏右輔
  昌微中干後東海姫司為
  白失水寄胡空為遂國喧
  龍游窘急城土茫茫中鼓
  牛飡食人黄赤興丘青鐘
  膓鼠黒代𨿸流畢竭猿外
  丹盡後在三王英称犬野
  水流天命公百雄星流飛

 いや、正直、頭がクラクラするようです。見ていても、まるで、江談抄の中に登場する吉備真備がそうであったように、眼がくらんで、さっぱり、意味がとれ ません。そのままでは、絶対に読めないと伝わっているのですから・・・・これを読もうというのが無謀というものでしょう。しかし、注意深く、ずっと見てい るうちに、前半部と後半部の文字の使い方の違いが気になってきました。

 前半部は、興す、羽、祭、翔ぶ、姫など、明るい言葉が使われているのに、後半になると、失、茫、食人、鼠、猿、犬など、比較的暗い言葉が使われていま す。
 おそらく、前半部は、何か明るい内容が書かれていて、後半部は、暗い内容が書かれている・・・。
 そして、わざと、そういう文字を選んで、修飾しているのだと思いました。

 その転換点になる文に注目してみました。

 「白失水寄胡空為遂國喧」

 これだけを、ずっと見ているうちに、なんとなく、意味がとれそうな気がしてきました。

 漢字は、その文字一つ一つに意味があります。一文字で、これが、名詞なのか・・・形容詞なのか・・・動詞なのか・・・検討がつきます。だから、注意深く 見ていけば、意味がとれてきます。これを考えながら、言葉を並べていけばよいのではないでしょうか?

 白は、よく、頭が真っ白になる・・・なんて言い方をしますので、「白失」は、「完全に失われる」という意味でしょう。

 「水寄」は、そのまま、「水が寄せる」か・・もしくは、「水のように寄せる」でしょうね。
  途中はわからないので、少しとばして、「為遂國喧」・・・・「喧」が「ケンカ」の意味ですから、「遂に、国、喧噪(けんそう)と為る。」でしょう。そうす ると、その前の「空」は、「空(むな)しく」と読むべきだとわかります。

 そうすると、残りは、「胡」だけですが・・・・意味がわかりません。インターネットで検索をかけてみました。


 「中国人が、初め北方の、のちに西方の異民族を呼んだ語。中国の戦国時代には長城地帯の異民族を,漢代には主として匈奴をさしたが、南北朝時代以後はお もに西トルキスタンのイラン系民族、特にソグド人を意味した。」
参考 ことバンク ブリタニカ国際大百科事典より (胡)https://kotobank.jp/word/ 胡


  読んで、驚きました。

 ソグド人と言えば、安禄山は、ソグド人の有力者の家系であったのではないでしょうか? うかつでした!そういえば、玄宗は、安禄山を「雑胡」と呼んで、可愛がり、安禄山自身も、自分の事を「胡人」と言っていました!  だとすれば、この一節は、安禄山の蜂起(ほうき)を書いたものに違いない!!!  私は、内心の興奮を抑えながら、始めから、もう一度、このルールにしたがって、この節と同じ様に、注意深く、読んでみました。

●野馬臺詩の解読

詩の上の番号は、読んだ文字の順番です。
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本宗、 天譲(壊)(てんじょう)に定まるに始まり、初め、元(くに)を建てるに功あり、
(解説)
本宗とは、その時代の宗という事ですから、皇帝・玄宗の事でしょう。玄宗は、父である睿宗(えいそう)から、天下を譲り受け、そして、国を再興し、開元 (かいげん)という時代を築きました。

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臣君、終始(周枝)、祖を治法主と興(たた)えて終わる。
(解説)
人々は、社会も人心も安定した時代が続いたので、玄宗の治を讃えて、開元の治と呼びました。(「元」には、「はじまり」、「もと」という意味があります。 玄宗は国を再建したので年号に開元が使 われているのでしょう。)

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統治(孫)は谷を走り、政(祭)事(まつりごと)、羽の生えたごとく、事衝(じしょう)、 成し 終わる。
(解説)
孫は系、つながっている集りの意味ですから、代々続く唐の国体の事だと思います。その統治が国のすみずみまで行き渡っている様子を示すのでしょ う。祭は政治の意味だと思います。政治の事は「まつりごと」とも言います。

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田は埋(塡)まり、魚は集(膾)まり、世代は、天工翼を翔ぶ。
(解説)
は 埋まる(いっぱいになる)という意味ですので、田がいっぱいになるという事は、豊作でしょう。開元の時代は、豊作が続きました。會( 膾)は、「会(あつ)まる」ですから、魚膾は、豊漁の意味でしょう。世代天工翼を翔ぶですから、交通網の発達を 表し、交易がさかんに行われた事をしめして いるのではないでしょうか?

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孫氏(そんし)(孫氏の兵法)、戈(ほこ)を動かし、葛(つら)なる百国氏がこれを支え た。
(解説)
孫氏と 言えば、兵法で有名です。軍規が、統治していた様を表すのだと思います。 葛(かずら)はツタなので、繋がり広がるイメージでしよう。玄宗は富国強兵を行い、節度使制度をひいて、異民族をその統治に登用しました。輔は、輔佐する という意味でしょうから、右輔は百国の氏が、玄宗の統治を支えていたと意味がとれます。

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中原を平定後、東海姫の司(つかさ)の昌(さかえ)に微力ながら寄与する。
(解説)
今、中国は、中華人民共和国と言いますが、昔から、中原を平定する事が、天下(中華)を取る事だという思想がありました。干には、戦い(干戈(かんか)) の意味がありますから、中干後で、天下を平定した後という意味でしょうか?次が、「東海姫の司の為(ため)」で、一番上の昌微で微力ながら栄えに役立ちま した・・・・という謙譲(けんじょう)の気持ちがうかがえます。ということは、この東海姫の司が、この文の送り先だと断定出来ます。

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これらが、すべて、失われた、胡(ソグド人)が、水のごとく攻め寄せ、空しく、国は遂に喧 噪 (けんそう)と為(な)った。

(解説)
これは、先に述べたとおり、胡は、安禄山の事で、その蜂起で国が乱れ、玄宗と唐の国が築いてきた平和が失われてしまったことが述べられていると考えられま す。

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龍游(りゅうゆう)、城に馳せ参じ(窘急城)、鼓の音が響きわたる中、土煙が茫々と立ち昇 る。
(解説)
顔昊卿(がんこうけい)、 顔真卿(がんしんけい)、 郭子儀(かくしぎ)、李光弼(りこうひつ)、高仙芝(こうせんし)、哥舒翰(かじょかん)など、唐側の将軍達が勇ましく出征していく様子でしょう。窘急 は、中国語で切迫するという意味です。

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牛を喰(飡)らう者が人を食らう、黄赤の旗が、青鐘(せいしょう)の音と共に丘の上に興 (お ど)った。
(解説)
ソグド人は、遊牧騎馬民族の一つです。ですから、牛食で、遊牧騎馬民族、かつ、野蛮人という侮蔑(ぶべつ)も込められているかもしれません。それが、人を 食らい(殺し)、青鐘を鳴らし、攻め込んで来た様子を表しているのでしょう。黄赤は、旗の事だと思います。
ちなみに、安禄山の軍が鼓を打ち鳴らしながら、進撃してくる様子が、長恨歌に、「漁陽(ぎょよう) 鼙鼓(へいこ)動地來」と書かれています。

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渓(𨿸)流は、黒き鼠の腸(膓)と代わり、つい(畢)に、首が園(猿)外に掲(竭)げら れ た。
𨿸
(解説)
は、そのまま、腸 の意味と取りました。𨿸流は、渓流を装飾してあるのでしょう。猿外も同じで、園外を装飾すると同時に、作者の残念な感情を伝えている のだと思います。
は、終わりにとい う意味ですから、ついにと訳しました。渓流が黒き鼠(頭の黒い鼠=人間)の腸と代わるというのですから、これは、潼関の戦いでしょう。 潼関の戦いでは、何万という兵士達の遺体で、黄河がうまったといいます。そして、掲げられたのを、私は、勝手に、首と解釈しましたが・・白旗かもしれませ ん・・・・とにかく、潼関が陥落したという意味には、捉える事が出来ると思います。

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流血の惨事の後(丹盡後)、三王の英称が、縣(犬)野(けんや)に在った。
(解説)
丹は赤、よく、血の事を表す場合があります。は、全ての・・・とい う意味です。犬は、前の文と同じで、縣(地方)を場面にあわせて装飾しているのでしょ う。すなわち、これは、玄宗一行の長安脱出を言っていると考えられます。同時に、三王の英称は、おそらく、「玄宗」、「粛宗」、「安禄山」(あるいは、 「玄宗 or 粛宗」、「安禄山」、「史思明」)で、天下が三分されてしまった状況を、示しているのでしょう。

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天命(てんめい)は水のごとくながれ、公、百雄星のごとく、流れ飛んでいく。
(解説)
中国には、天命思想があって、天下は、天命(天からのお告げ)で動くという思想があります。その天命が、今、玄宗から離れ、どこへ行くかわからな い・・・・。(だから、この前節でも、天子ではなく、王と書いてあるのでしょう。)玄宗一行が逃げて行く有様を書くと同時に、そういう事を表しているのだ と想像します。

●「野馬臺詩」は唐の国の歴史と混乱が書かれている!

 信じられないような思いですが、「野馬臺詩(やまたいし)」をすべて、解読する事が出来ました。

 文中で、「皇帝が本宗と呼ばれている事」(唐の前の帝国、漢や隋の皇帝は◯宗と名乗っていません。)、「開 元の治が書かれている事」、「胡の反乱で国が危機に瀕する様子が書かれている事」ことから、この野馬臺詩に、唐の国の歴史と、安禄山の反乱による混乱が書 かれて いる事は、間違いないように思えます。

 あるいは、こんな読み方は、こじつけだというかもしれません。しかし、一般的に言われている預 言書としての読み方と 比べてどうでしょう?

 私の読みかたの方が、はるかに筋が通っていると感じるのは、自分だけでしょうか?
参考
交通網の発達
 大運河が開通したことによって、経済的に優越していた南が北と連結し、中国全体の流通が高まった。その経済的・文化的・政治的な影響は計り知れない。ま た、大運河の建設に多くの人々を動員して苦しめたことを隋朝打倒の大義名分の一つとして建国した唐王朝こそが、実は大運河からの最大の受益者であった。地 元の生産力では支えきれなくなった首都長安の食糧事情を安定させることができたのも、大運河による物資の運送能力によるところが大きかった。
参考  ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/ 大運河
牛飡食人
 安禄山の部隊は巨大な石臼を運び、それを使って捕えた人々を糧秣にして進軍したと伝えられています。その事は、正史である旧唐書にも、新唐書に も、資治通鑑にも記されています。もちろん、正史に記載されているとはいえ、これは、唐側の記録ですから、史実かどうかはわかりませんが・・・唐の人々 が、それを怖れ信じていたことは、間違いありません・・・・。

旧唐書 列伝第150下
「賊有舂磨砦,為巨碓數百,生納人於臼碎之,合骨而食,其流毒若是。」

新唐書 列伝第150下
「人大饑,倚死墻塹,賊俘以食,日數千人,乃辦列百巨碓,糜骨皮於臼,並啖之。」

資治通鑑 巻255
「賊掠人為糧,生投於碓磑,並骨食之,號給糧之處曰「舂磨寨」。縱兵四掠,自河南、許、汝、唐、�、孟、鄭、汴、曹、濮、徐、兗等數十州,鹹被其毒。」

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