龍神楊貴妃伝

皇族達の熊野参詣の始まり

●安倍晴明の力の源は、熊野の霊力

 安倍晴明の力の源は、吉備真備が唐から持ち帰った「簠簋内伝金烏玉兎集(ほ きないでんきんうぎょくとしゅう)」であるとされています。安倍晴明の必殺技 である「泰山府君(たいざんふくん)の法」も、この「簠簋内伝金烏玉兎集」の霊力によるものという事になっています。
 金烏玉兎集の金烏(きんう)とは、太陽に棲む3本足のカラスの事です。すなわち、金 烏とは、熊野の守り神でもある八咫烏(やたがらす)という事になりま す。(ちなみに玉兎は、月のウサギです。)
 この簠簋内伝金烏玉兎集の第1巻には、「牛頭天王(ごずてんのう)」の逸話が書かれています。
 牛頭天王は、日本の神仏融合(しんぶつゆうごう)の神です。
 そして、この「牛頭天王」こそ、熊野の祭神でもあります。
 牛頭天王は、逸話の中で「蘇民将来(そみんしょうらい)」という人物に助けられる事になっていますが、「牛頭天王」も「蘇民将来」も、スサノオと同一視 されています。
 熊野本宮の主神である熊野坐大神(くまのにますおおかみ)も須佐之男命(すさのおのみこと)と同一と言われており、こうしてみると、「簠簋内伝金烏玉兎 集」の全てが、熊野を表している事がわかります。

牛頭天王の霊力を表す「熊野牛王符」

速玉大社牛王符
「新宮速玉大社の牛王符」
本宮大社牛王符
「本宮大社の牛王符」
那智大社牛王符
「那智大社の牛王符」

●阿倍仲麻呂が楊貴妃に熊野への憧れを抱かせた?

 「史暦の中の吉備真備と阿倍仲麻呂」の中で、阿倍仲麻呂が吉備真備と連なって 帰ろうとした時、王維(おうい)に贈った詩に、日本を蓬莱と書いている事を 紹介しました。きっと、阿倍仲麻呂は楊貴妃にも、日本を蓬莱と紹介していたでしょう。

 楊貴妃が、阿倍仲麻呂の事をどう考えていたかはわかりません。しかし、確実に、楊貴妃は自分を助けてくれた阿倍仲麻呂に感謝していたでしょう。
 おそらく、楊貴妃は、日本に帰って来る事を許されない阿倍仲麻呂に代わって、蓬莱に行きたいと望んだのではないでしょうか?
 そして、蓬莱が熊野だと聞き・・・・そこをめざしたのではないでしょうか?

 人々は、楊貴妃が、なぜ、熊野を目指すのかわからず・・・・きっと、楊貴妃が熊野の霊力を奪いたいと思っているのだと想像した・・・・。

 それが、隆昌女(りゅうしょうじょ)や、白狐の葛子(くずこ)が「簠簋内伝金烏玉兎集」を狙うという伝説を生んだのではないか・・・・ 私は、そう考えま す。

●大江匡房が熊野参詣ブームの始まりだ!

 貴族達の熊野参詣ブームが起るのは、白河法皇(しらかわほうおう)(1053〜1129)の治世です。
 この白河法皇の時代に活躍したのが、大江匡房(おおえのまさふさ)です。
 大江匡房は、自分の再発見した楊貴妃亡命の歴史を、記録から隠しました。
 しかし、 同時に大江匡房は「江談抄(ごうだんしょう)・吉備入唐の間の事」も「狐媚記(こびき)」にも、そこに、隠している事があるんだと、わざわざ強調してい て・・・本当は、ウズウズとして、しゃべりたいんだ!という気持ちが、文面からも見てとれます。
 白河法皇の耳にもこれが入ったのではないでしょうか?

 私は、これが、熊野参詣流行の発端になったと考えています。

 異国から渡って来た楊貴妃が、なぜ、熊野にあこがれ、こだわったのか?・・・それは、楊貴妃亡命の歴史を知った人達にとって、不思議だったでしょう。
 もともと、熊野の神々は、「イザナキ」「イザナミ」「スサノオ」といった古代の日本の自然神です。・・・なぜ、日本のこういった神々を異国人である楊貴 妃が崇拝するのでしょうか?
 ひょっとすると、これらの神々は、本当は、異国の佛のもう一つの姿なのかもしれない・・・。人々は、そう考えたのではないでしょうか?・・・そして、そ れが、日本の神々は、佛が姿を変えたものだという本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)と結 びつき、その一つの大切な根拠となったのではないでしょうか?

 現在、熊野は、「蘇(よみがえ)りの地」として知られています。おそらく、これは、徐福が不老不死の妙薬を捜しにきた伝説から生じたものでしょう。人々 は、楊貴妃が、安史の乱を逃れ、蘇(よみがえ)ったのも、楊貴妃が熊野の不老不死の霊力を手に入れたためだと考えたのではないでしょうか?そして、この不 老不死の体現者(たいげんしゃ)として、楊貴妃そのものを熊野に祀ったのかもしれません。

●宇多法皇の熊野参詣は円珍の影響か?

 しかし、大江匡房の時代の前にも、熊野を参詣している皇族があります
 最初の記録は、「扶桑略紀(ふそうりゃくき)」に、907年、宇多法皇(うだほうおう)が熊野を参詣した事が記載されています。
 私は、この宇多法皇に熊野参詣を勧めたのは、宇多法皇の受戒、受灌の師匠である増命だと考えています。
 増命は、このサイトに、これから何回か登場する天台宗寺門派の開祖・円珍の弟子で・・・円珍を敬愛し、円珍に「智証大師」の諡号を与えるように力を尽し た人物です。

 宇多法皇は、藤原北家と対立し菅原道真を重用するなど、藤原氏の力を抑えようとしました。おそらく、宇多法皇の熊野参詣は、藤原氏と対立し戦った楊貴妃 の霊力を利用しようとしたものではないでしょうか?

※宇多法皇は、楊貴妃の絵を描かせ、所持していました。この事は、紫式部の書いた「源氏物語」や、伊勢の歌集である「伊勢集」にあります。
宇多法皇が、楊貴妃に憧れをいだいていた事は間違いないでしょう。

●花山法皇に熊野参詣を勧めたのは、安倍晴明・・・?

 次に、熊野参詣を行なったのが、花山法皇(かざんほうおう)(968〜1008)です。花山法皇の熊野参詣については、詳しい記録がなく、いつ頃、熊野 に参詣したのかもわかりませんが、参詣したのは、いろいろな伝承や記録から事実とされています。

 この花山院の時代に活躍したのが、安倍晴明です。

 安倍晴明(あべのせいめい)の伝説と花山法皇の伝説は、密接に絡まっていて、大鏡(おおかがみ)には、花山天皇が藤原兼家らの術中にはまって御所を抜け 出した時、安倍晴明の家の前に通ると、清明はその事を予見していて、式神と話す声が聞こえたと書かれています。
 伝説によれば、花山法皇の熊野参詣の時には、清明が影の様にそれを守護していたと伝えられています。

 安倍晴明が、阿倍仲麻呂や白キツネ(キツネの女神=楊貴妃?)の血をひいているというのは、私には、信じられませんが・・・・陰陽師だった彼は、確実 に、空海の密教(呪術)も研究していたでしょう。おそらく、安倍晴明は、楊貴妃渡来の事を詳しく把握していたのではないでしょうか?

 あるいは、花山法皇に熊野参詣を勧めたのは、この安倍晴明だったかもしれません。


 「簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)」は、正式名称を「三国相伝(さんごくそうでん)陰陽(おんみょう)輨轄(かんかつ)簠簋内 伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)」といいます。

 「三国伝来九尾の狐」、そして、熊野信仰にも、その信仰が天竺(てんじく)から伝わった三国相伝のものであるという信仰があります。
 九尾の狐伝説では、九尾の狐は、耶竭陀(まがた)国の王子、班足王(はんぞくおう)の后、華陽夫人(かようふじん)に化けました。
 熊野三山の縁起である「五衰殿の女御」で は、字は違いますが、同じく摩訶陀(まかだ)国の善財王(ぜんざいおう)という大王と、その后、善法女御(ぜんほうにょうご)、また、その王子が 熊野の神々の大本と書かれています。
 これらの伝承は、もともと同じ、「楊貴妃渡来事件」に由来しているのだろうと私は、感じます。
参考
本地垂迹説  本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が 化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。 扶桑略記 平安時代の私撰歴史書。寛治8年(1094)以降の堀河天皇代に比叡山功徳院の僧皇円(こうえん)(法然の師)が編纂したとされるが、異説もある。
ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/扶桑略記
源氏物語 桐壺の巻より
このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ
※亭子院とは宇多天皇の譲位後の後院のこと
『源氏物語』の現代語訳:桐壺5 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan2/genji005.html
伊勢集 和歌52〜61
長恨歌の屏風を、亭子院のみかどかかせたまひて、そのところどころよませたまひける。
みかどの御になして
五十二 もみぢばにいろ見えわかず散るものはものおもふ秋のなみだなりけり
五十三 かくはかり落つるなみだのつつまれば雲のたよりにみせましものを
五十四 帰りきて君おもほゆるはちすばになみだのたまとおきゐてぞ見る
五十五 たますだれあくる知らでねしものを夢にも見じとゆめおもひきや
五十六 くれなゐにはらはぬ庭はなりにけりかなしきことのはのみ積もりて
きさきの御になして
五十七 しるべする雲の舟だになかりせは世をうみなかにたれか知らまし
五十八 月も日もなぬかの夜の契りをば消えしほどにもまたぞそわすれぬ
五十九 消えし身にまたも消ぬべし春かすみかすめるかたを都とおもへば
六十  木にもおひず羽もならべでなにしかもなみぢへだてて君を聞くらん
六十一 ゐる雲の人はきえせぬものならばなみだはみをと流れざらまし
大鏡 平安時代後期(白河院政期)に成立した紀伝体の歴史物語。
ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/大鏡
熊野の説話 花山法王の熊野
那智山中で修行をしている花山上皇のもとに天狗が現われて、様々な妨害をした。花山院は安倍晴明を呼び寄せ、天狗の妨害を防ぐよう命じた。そこで、晴明は岩屋に多くの天狗たちを封じ込めて祈祷した。そのおかげで花山院は無事に千日の修行を終える。
九尾狐の伝説
妖狐九尾の狐は、西域インドの耶竭陀(まがた)国の王子、班足(はんぞく)太子の華陽夫人として再び現れる。
班足太子も、華陽夫人に操られ、 千人もの人々を虐殺する悪逆無道な政治を行ったが、耆婆(きば)という人物が夫人を魔界の妖怪と見破り、金鳳山中で入手した薬王樹で作った杖で、夫人を打つと、たちまち九尾の狐の正体を現し、北の空へ飛び去って行った。
那須町工芸振興会公設ページ http://nasu-kougei.main.jp/jizoo6.htm

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どうか貴方自身の眼で確かめてみてください!

龍神楊貴妃伝1「楊貴妃渡来は流言じゃすまない」


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龍神楊貴妃伝2「これこそまさに楊貴妃後伝」


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