●龍神温泉の名前の由来は?
私は、楊貴妃伝説を考える前から、私の住む龍神村の龍神とは、どういう意味なの
か?また、龍神温泉が、日本三美人の湯と言われているのは、どこから来ているのか?不思議に思いずっと考えてきました。
龍神村という以上、どこかに龍が潜んでいたとか出現したとか話がありそうですが・・・・調べても出て来ない。
あるのは、空海が、難陀竜王(なんだりゅうおう)の導きを受けて、温泉を開いたからだという伝説だけです。
●空海の龍神温泉開湯伝説
温泉寺の立札
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龍神温泉にある温泉寺の立て札から説明書を抜き書きします。
「本尊は瑠璃光薬師如来、弘仁年間弘法大師(空海)が難陀竜王の夢のお告げによって泉源を得たので草庵を結んで自作の薬師如来を安置した後、宝永2年
(1705・・・徳川吉宗が紀州藩主になった年)明算という僧が頑固なはれものを、この湯でなおしたことで龍王社薬師堂を再建し温泉寺と名づけたと言われ
ている。」
●役行者の龍神温泉発見伝説
しかし、龍神温泉は、空海が発見したものではなく、もっと昔の役行者(えんのぎょうじゃ)が発見したものとも伝えられています。
龍神村誌上巻「役の小角と龍神温泉」から抜き書きします。
『文武天皇(在位697〜707)の時代、龍神温泉は大和国の修験者「役の小角(えんのぎおずの)」によって発見されたのである。
日本鉱泉誌に、「温泉は、役の小角がはじめてこれをひらき・・・」とある。
また、上御殿(龍神村湯本)所蔵の「応永2年(1395)乙亥年正月12日高野山山本坊 阿闍梨(あじゃり)堯円(ぎょうえん)敬白」の古文書による
と、
「夫、紀州日高郡龍神温泉湧出之濫觴(らんしょう=事の起こり)は、役の行者32歳にして・・・、山巌に攀上(よじのぼっ)て、仏神之霊験を顕(あり)
し、中にも高野山は甲地(優れた地)清絶(非常に清らかなこと)の仏土なるによりて、久しく止住し、薫練(徳をもって良い方に導くこと)を凝し(こらすこ
と)、中の峰(修験道の儀式)を修業し玉ふ時、龍神の山に躋(のぼ)り玉ふ。
行者此地を差過(さしすぎ)たまふに、怪く煙立ち上るを、如何と不思議の思をなし、持給える錫杖を以(もって)突(つき)穿(うがち)たまふに、焔咽
(えんいん)に返り温湯併出しければ行者驚嘆し、醫王善逝(おうぜんせい)、済度の方便なるべし、随喜感悦して数多の病者を浴し試玉ふ
に、忽(たちまち)に癒(いや)さざる無き也・・・」』
●何故、空海の龍神温泉開湯伝説があるのか?
空海が龍神温泉を開いた時には、すでに、役行者が龍神温泉を見つけていたというのですから、こんなことを言っては、怒る人もいるかもしれませんが、「空海が、難
陀竜王の導きを受けて温泉場を開いた」というのは、正直、あんまり、魅力的なお話とは思えません。
美人の湯という話にしても、龍神村の美人の伝説には、平維盛(たいらのこれもり)を愛したというお万の話もありますが、お万は、龍神温泉と結びつけて語られる
事も無く、これが、日本三美人の湯の起源になったという言い伝えもありません。
楊貴妃が龍神村に来ていたとするなら、龍神村の名前の由来(柳人)も、美人伝説の由来の謎も、一挙に解決します・・・・しかし、そう仮定すると、今ま
で、龍神村の名前の由来として提唱(ていしょう)され続けてきた「空海が、難陀竜王の導きを受けて、温泉を開いた」という伝説をどう説明するのか?という
問題が出て来ます。
それを説明するために、次の様に考えました。
@空海は、楊貴妃が龍神村に滞在していたのを記念して龍神温泉を開いた。
A同時に、それを隠すために難陀竜王の伝説をそこにかぶせ、楊貴妃亡命をカモフラージュした。
すなわち、「空海は、楊貴妃渡来を知っていた」という考えです。これは、突飛(とっぴ)すぎる仮説かも知れません。
しかし、こう仮定することによって、この「龍神楊貴妃伝」は、楊貴妃渡来の新たな根拠を続々と得ることが出来ました。そして、ここから、史歴上は、存在
するはずがない亡命後の楊貴妃の生涯も浮かび上がってくる事になったのです。
参考
日本鉱泉誌 龍神温泉
古は役の小角中の峰修業の時始て泉地を開き弘仁中僧空海高野山に入り難陀竜王の夢告に因りて衆庶の来浴を導き醫王の像を自鐫して草堂に安置
す此擧龍王の告る所なるを以て龍神温泉と稱し即ち村名と為す後地震の為に泉竅煙塞せしを有る氏遂に奮に復して涌出すと云う(筆者注:カタカナを、ひらがな
にして抜き書きしています)
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