江談抄 第三の1

吉備入唐(きびにっとう)の間の事

大江匡房談 藤原実兼筆
吉備大臣入唐習道之間、諸道芸能博達聡恵也。唐土人頗有恥気。密相議云、我等不安 事也。不可劣先普通事。令登日本国使到来楼令居。此事委不可令聞。又件楼宿 人多是難存。然只先登楼可試之。偏殺左ハ不忠也。帰又無由。留為 我等頗有恥ナント。令居楼之間、及深更風吹雨降鬼物伺来。吉備作隠身之封不見鬼、吉備 云、何物乎。我是日本国王使也。王事靡盬。鬼何伺ヤト、鬼云、尤為悦。我日 本国遣唐使也。欲言談承、吉備云様、然早入。 然停鬼形相可来也鬼帰人着 衣冠出来ルニ相謁、鬼先云、我是遣唐使也。我子孫安倍氏侍。 此事欲聞、干今不叶也。我大臣ニテシ ニ、被登此楼不与食物シテ餓死也。其後鬼物。 登此楼人無害心トモ自然得害。如此相逢欲 問本朝事不答シテ死也。逢申貴下所悦也。我子孫官位侍リ ヤ。吉備答、某人々々官位次第子孫之様七八許令語、聞大感云、成悦聞此事至極也。此恩貴 下此国事皆悉語申サント思也。吉備大感悦、尤大切也ト云々。 天明鬼退帰畢。其朝開楼食物持来ルニ不得鬼害存命。唐人見之弥感云、希有事也云思、 其夕又鬼来云、此国議事アリ。日本使才能奇異也。令読 書欲笑其誤云々。吉備云、何書乎、鬼云、此朝極難読古書也。号文 選トテ一部卅巻、緒家集神妙所 撰 集也ト云々。其時吉備云、此書令伝説哉如何。鬼云、 我不叶、貴下具申、彼沙汰ニテ為 令聞如何。閉楼タリ。争可被出ヤ、 鬼云、我有飛行自在之術、到、 出自楼戸隙相共到文選講所。於帝王宮、終夜率三十人儒子、終夜令講聞、吉備聞之共帰楼。鬼云、令 聞得哉如何。吉備云、聞畢。若旧暦十余巻被求与乎、鬼受約、与暦十 巻即持来。吉備得之、文選上帙一巻端々三四枚、令書ル ニ、暦一両日皆悉成。侍者シ テ食物荷セテ文選ヲシテ令 送楼、儒者一人為勅使欲試、文 選端破、楼中破散置。使唐人来者見之各 怪云、此書、 多也令与、勅使驚此 由申帝王、此書又本朝有 歟被問、出来巳経年序。号文選人 皆為口実誦者也、唐人云、此土在之也、 吉備見合乞請取卅巻令書取、令渡日本也。又聞云、 唐人議云、才トモア ラシ、以囲碁欲試、以白石ヲハ擬 日本、以黒石擬唐土ニテ、以此勝 負殺日本国客様欲謀。鬼又聞令告吉備。吉備令問聞囲碁有様、 就列楼計組人三百六十目計、別指聖目、一夜之間案持了之間、唐土囲碁上手等撰定、集令 打、持ニテ打無勝負之時、吉備偸盗唐方黒石一飲了。欲決勝負之間唐負了。唐人等云、希有 事也。極、 計石黒石不足。仍課ト筮占フニ之、 盗ト云。推之大在 腹中。然者瀉薬セシメントテ令服呵梨勒丸、以止封不 瀉 之、遂勝了。仍唐人大怒不与食之 間、鬼物毎夜与食、巳及数月也。然又鬼来云、今度有議事、我力不及。高名智徳行密法僧宝志令 課、鬼物若霊人告カトテ令結界、文貴 下セント云事アリ。力不 及、吉備術尽居之間、如案下楼、於帝王前令読其 文、吉備目暗、凡見此書字不見。向本朝方、暫訴申本朝仏神神者住吉大明神仏 者長谷寺観音也、目頗明シテ文字許無 可読連様、蛛一俄落来干文上天イヲヒキテツゝクルヲミテ読 了。仍帝王并作者モ弥大驚テ、如元令登楼、 偏不食物欲絶命。自今以後不可開楼ト云々。鬼物聞之告吉備。々々尤 悲事也。若此土暦百年タル双六筒賽盤侍ラハ欲申請、 鬼云、在之令求与。又筒。 賽置 枰上覆筒、唐土日月被封二三日許不現シ テ、上従帝王下至諸人、唐土大驚騒叫喚無隙動天地。令占之、術道者令封隠之由推之。指方角当吉備居住 楼。被問吉備答云、我不知。若 我依被冤陵、一日祈念日本仏神、自有感応歟。可被還我 於本朝者、日月何不現歟ト云尓、司令帰朝也。早可開云。仍取筒日 月共現。為之吉備仍被帰也云々。江師云、此事我慥委難 無見書、故孝親朝臣之従先祖語伝之由被語也。又非無其謂。太略粗書ニモ有所見歟。 我朝高名只在吉備大臣。文選囲碁野馬台、此大臣徳也。(※出力出来ない文字は簡易文字を使用しています。)
現代語訳
 吉備大臣は入唐の間、諸道芸能の道を学び、全てが優れていました。
 唐土の人は、その存在にすこぶる恥気(おじけ)を感じて、そこで、密かに相談をしたのです。

 「我等にとってあの者の存在は、不安だ。まず普通の事では余人に劣るとは思えない。日本国の使が来たら、楼に登らせてそこに居させよう。事を詳しく聞か せるわけにはいかんが・・あの楼に泊った者は多くが命を落としているのだ。しからば、ただ、まず、先に楼に登らせ之を試してみようではないか。ひとえに殺すのは、 正当性を問われよう・・。帰してはならぬ。しかし、このまま居らせておいては、我等が大変な恥ずかしめを受けるに違いない。」

 吉備が、令を受けて楼に居ると、深夜になって風が吹き、雨が降り、そして、鬼が伺い来ました。
 吉備は隠身の封を行い鬼に見えないようにして、「何者か?私は、日本国王の使いだ。王の使いであるからには、脆いものではないぞ。鬼よ、何を伺っている のか?」と云うと、鬼は、「それは、大変悦ばしいことだ。私も日本国の遣唐使だ。お話をしたいと思う。」と云いました。

 「そうであるなら早く入れ。しかし、鬼の形相を停めて来るべきであろう。」
 鬼は、言葉に従い帰ると、今度は、衣冠をまとって出て来たので、真備は、鬼の相手をしました。
 鬼が先に云いました。「私は、遣唐使です。私の子孫の安倍氏はどうなっているでしょうか? 此の事を聞きたいと願っていたのですが、今までかなわずにおります。私は大臣としてこの地にやってきたのですが、楼に登らされ、食物をあたえられずに餓死 いたしました。その後は鬼となった次第です。此の楼に 登ってきた人に、私は害を与えるつもりはないのですが、自然に害をあたえてしまい、ただ、会って日本の事を聞きたいと思うだけなのですが、相手は答えぬま まに死んでしまうのです。貴方に会えた事は大変な悦びです。私の子孫は官位などありましょうか。」
 吉備は答えて、某人々々と官位の次第と子孫の様子を七八ばかり例をあげて語りました。鬼は、これを聞いて大いに感じいって云いました。「これを聞いて、 悦びとすること感激至極です。この恩に貴方に此の国の事を、皆、つまびらかにお話いたしましょう。」吉備は大いによろこんで、「それはとても大切な事だ。 ありがたい」 と云いました。
そのうち、空が明るくなってきましたので、鬼は帰りました。

 その朝、給仕が楼を開いて食物を持って来たのですが、吉備は鬼の害を受けず生きていました。唐の人は、之を見ていよいよ危惧を感じて、「ありえないよう な事だ」と云い思いました。

  その夕方、また、鬼が来て吉備に伝えました。
 「この国にはかりごとがあります。日本の使いの才能は奇異なものだ・・・しからば、 書を読ませて、その誤りを笑ってやりましょう・・・と云っております」
 「何の書を読むのかな?」
 「この朝廷に伝わる極難読の古書です。号を文 選といって一部30巻、緒家の神妙の物を選び集めた書です。」
 「此書の内容を聞かせてお伝え願えないかな。」
 「私には不可能です。貴方を彼の沙汰の所へ御連れいたしましょ う。そこでお聞きいただいたらいかがでしょうか。」
 「楼は閉まっている。どうやってここを抜け出そうか。」と云うと、鬼は云いました。
 「私には、飛行自在 の術があります。聞きにいきましょう。」と楼の戸の隙から抜け出すと共に文選の講所についたのです。

 帝王宮殿において、終夜、三十人の儒学者が、講聞をたたかわせるのを聞き終わって、吉備は共に帰楼しました。
 鬼は云いました。「聞く事は出来ましたか。」吉備は答えて「すべて聞き終わりました。もし旧暦の十巻余りあれば欲しいのですが」と云うと、鬼は了解し て、さっそく暦十 巻を持って来てくれました。
 吉備は之を得ると、文選の上の一巻の端々を三四枚づつ、書きいれて、一両日を経て暦に誦を皆悉くに書いてしまいました。

 侍者に食物を運ばせて、さらに、文選の試験をさせようと、儒学者1人が勅使として楼に送り込まれたのですが、この儒学者が送りこまれた時には、楼中の端 々に、文 選の端の破れたものが散かし置かれていました。使いの唐人は、これを見て不思議に思い、「この書は他にもありますか。」と問いましたので、「たくさんあり ますよ。」といって与えました。
 勅使は、驚いて此の旨を帝王に申しましたので、「この書は、日本にもあるのか。」と聞いてきました。「出現してから経年を過ぎています。号を文選と云っ て、人は、 皆、口実(慣用句)として誦えている物にございます。」と申しましたのに対し、唐人が「此の唐土に同じ物が在る」と云うのを、 吉備は「見比べてみましょう」と、この30巻を受け取り、書き取らせて日本に持ち渡る事にしてしまいました。

 またこれを聞いて、 唐人たちは議論して云いました。
 「才は有っても芸は、必ずしも有るとはいえまい。囲碁をもって試してみたらどうだろう。」
 白石を 日本に擬し、黒石は唐土に擬して、この勝 負で日本国の客人を殺してしまおうと謀ったのです。
 鬼は、又これを聞いて吉備に告げました。吉備は囲碁のやり方を聞いて、寝ながら、楼の天井の格子の360目を数え、別に 聖目(碁盤の目の上に記された9つの黒点)を指して、一夜の間に引き分けまで持ち込む案を考え終えました。

 唐土の囲碁の上手を撰んで、 打たせたのですが、引き分けでなかなか勝負がつかない時に、吉備は唐方の黒石を一つ盗みとって飲んでしまいました。そこで 勝負を決っしようとした時には、唐側の負けで終わったのです。唐人等は、「こんな 事があるか。極めて怪しいぞ。」と云って、石を 計えると黒石が不足していました。そこで占いをしたところ、「 盗んで飲んだ。」と出ましたので、お腹の中にあるにちがいないと争いになり「しからば瀉薬(下剤)を飲んでみよ」と呵梨勒丸を飲ませられたのです が、止まる封術をもって 瀉さず、遂に吉備の勝ちに了わりました。

 そこで、唐人は、大いに怒って食を与えなかったのですが、その 間、鬼が毎夜、食を与えて、それが数ヶ月に及びました。そのうち、又、鬼が来て云いました。
 「はかりごとが有ります。しかしながら、今度は私の力が及びま せん。高名智徳の密法を行なう僧の宝志という者に命じて、鬼や霊力の強い人間が告げるのではないかと結界を張った上で、文を 作って貴 下に読ませようとしています。これでは、私も力になれません。」
 吉備も術が尽きて、どうしようかと居 わっているうちに、下楼の令が出て、帝王の前で其 文を読むことになりました。
 吉備は目が暗んで、この書の字を見る事さえ出来ません。
 日本の方角に向かって、しばらく本朝の仏神に訴え祈って いると、(神は住吉大明神、仏は長谷寺観音也です)目がすこぶる明るくなってきて文字許りがくっきりと見えるようになってきました。しかし、それでも、読 み進む方法がわかりません。すると、きゅうに、蜘蛛一匹が文の上に落ちて来ました。この蜘蛛が、糸を引きながら続くのを追うと読み 了わっていたのです。

 これには帝王も作者も大いに驚いて、元のとおりに楼に登る事を命じて、食物を与えず絶命させようという事になりました。 「今より以後は楼を開く事もならず」と云います。鬼は之を聞いて吉備に告げました。
 「ああ、もっとも悲しい事になってしまった。もし、この辺りに100年を経た双六の筒と賽盤があれば、いただきたいのですが」と云うと、 鬼は「在る」と云って持ってきてくれました。ちなみに、この筒は棗(なつめ・かつら)で盤は楓(かえで)で す。 賽を双六板の上に置いて筒で覆うと、唐土の日月が封ぜられて二三日許現われませんでした。上は帝王から下は諸人に至まで、唐土は、驚天動地、阿鼻叫喚の大混乱に陥ってしまいました。これを占ってみると、術道の者が隠したのだと推し計られました。指し示す方角に当の吉備の居住する 楼があります。
 吉備を詰問すると答えて「私は知りません。もしかすると私に強く冤罪をかぶせて酷い目にあわせたのを、一日中、日本の仏神に祈念していましたが、自然に感応したのかもしれません。私を本朝に還していただければ、きっと日月も現われるでしょう。」と云います。
 そこで「帰朝をさせるべきです。早く封を開きなさい。」という事になりましたので、吉備が筒をとると、日 月は共に現われてきました。こうして吉備は帰る事ができたと云えられています

 江師は云います。「此事を、私は、たしかに詳しくは書に見る事は出来なかった。しかし、故 孝親朝臣の先祖が語り伝えたものゆえ、これを語るのだ。また、その言われがないわけではない。大略は、書にも見
られる所がある。我が朝の高名は、ただ、吉備大臣に在る。文選、 囲碁、野馬台・・・これは大臣の徳である。」

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