2006.11.14 紀和町鉱山跡 その3
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最後に、水車谷へ行きました。
水車谷は、江戸時代に栄えた鉱山でした。
今は、御覧のように美しい森の中に埋もれています。
しばらく行くと、無数の墓が乱立している場所がありました。天保や文政など年代を見ると、江戸時代の鉱夫たちのお墓でしょう。けれど、よく見ると、女の人や子どもの墓もたくさん混じっています。
江戸当時に女の人や子どもにこんな立派なお墓を建てるなんて、鉱夫はそれだけ裕福だったのでしょうか・・・?
でも、考えてみると、石を切り出す鉱夫達の事です。自分達で、お墓を作るぐらいの能力があったにちがいありません。
その中でも、私の一番のお気に入りは、「夢相童女」と書かれた、この小さなお墓です。彫られたお地蔵さんのどれだけ可愛らしく・・・おそらく、この死んだ少女を思い浮かべて彫ったものでしょう。この愛らしい少女に、両親は、どんなに愛情を注いでいた事でしょうか・・・。
苔むした山道の石段に転がっていた溶けた鉱石。
江戸時代から、そのままの形で転がっていたのでしょうか?
江戸時代の坑道と建物跡。
坑道の上の方が少し開いていましたので、中を覗きこみました。
人一人がやっとのことで通れるような狭い坑道。
奥はどれだけの深さまで続いているのか・・・フラッシュの光も届きません。
緑色の銅の鉱石も見えています。
精錬のための焼窯跡。
石が焼けて化学変化を起こしています。
江戸時代は、熊野窯と言って、当時でもっともすぐれた精錬技術を持った窯だったそうです。
何かわからないですが、こういった江戸時代の遺物が無造作に転がっています。
こういった鉱山資源が、江戸時代、御三家の筆頭と言われた紀州藩の財力を支えたのでしょう。
ここでしか見られないという「紀和竹」。
節と節の間が御覧のように極端に長く精錬窯の煙抜きのパイプに使われたといわれています。
全部の竹に御覧のような斑点があり、よく見ると、苔のようなものに寄生されているらしい・・・珍しい竹なのに・・滅びてしまわないかと、心配になってきます。