2006.11.14 紀和町鉱山跡 その2
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楊子川沿いに最近まで、稼働していた紀州鉱山の跡地を見る事が出来ました。
山道を歩いていくと傍らに朽ちたトロッコを見る事が出来ました。
そうすると、この道は、昔はトロッコが走る架線が走っていたに違いありません。
しばらく行くと道が途切れ、岩穴にポッカリと坑口が開いています。
え〜っ!この中を行くんだろうか?
恐いような・・・楽しみのような・・・
けれど、残念ながら、岩山をすぐに通り抜けて出口でした。
しかし、中は、トロッコの架線も残っていて、当時の雰囲気がただよっています。
トンネルを抜けると、何に使っていた跡なのでしょうか・・・・建物の礎石が薮の中に埋もれています。
坑道の中に彫られていたと伝えられる文字「延元二年」(1337年)、「天保八年」(1837年)と書かれているそうです。残念ながら、保護のアクリル板が汚れていてほとんど読む事が出来ませんでした。
天保の方は、米代二百文と書かれていて、天保の大飢饉の時の米の値段を彫ったのだと言われています。
近くに空いていた坑口。
鍵がかかっていて入る事が出来ないので、カメラを突っ込んで撮影しました。
紀州鉱山の坑道は総延長300kmと言われ、東京⇔名古屋間の距離に匹敵するそうです。
鉱山入り口の砂防堤、というより、鉱山の掘り出した瓦礫を止めている堤です。
昔は、間の穴から水が出ていたのでしょうが、瓦礫で満杯になって、今は、堤の上から水が落下しています。
堤の下には、往年の鉱山のなごりと見られる大きなパイプの留め金のようなものが転がっていました。