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伊勢型紙がいつごろから始まったのかはっきりしたことはわかりません。言い伝えでは奈良時代(720年頃)から存在したとも言われていますが、これだけ高度な型紙技術が奈良時代にあったものとは考えられず、もっと後代につくられたものではないかとの説もあります。

| 白子子安観音の境内にある不断桜。冬でも花が咲いているのでこの名がある。この桜の葉の虫食いの跡をヒントに伊勢型紙が作られたという伝説がある。 |
型紙が確実に存在した証拠としては、室町時代に狩野吉信という絵師によって描かれた「職人尽絵」の中に型紙を使って着物を染めている職人の姿が描かれていて、このときにはすでにかなり高度な型紙技術が存在していたことがわかっています。
鈴鹿市の白子で型紙が行われていたとわかる最初の記録としては1595年に寺家白子の型紙業者が当時、奄芸郡上野城主であった分部氏へ保護を願い出たということが記録として残っているそうです。

安芸郡河芸町にある分部氏の居城跡、現在、本城山公園

街道筋に今も残る道標、白子は交通の要所であった。
現在白子小学校の一角にある。
明治に入ると伊勢型紙の技術には「室枯らし」「紗張り」等、新しい技術が考案されましたが、業界は徐々に衰退の一途をたどり、大平洋戦争中には、伊勢型紙業者はほとんど壊滅状態となりました。
戦後、昭和27年に伊勢型紙は文化財保護委員会から重要無形文化財として指定され、昭和30年には「南部芳松」「六谷紀久男」「児玉博」「中島秀吉」「中村勇二郎」「城ノ口みゑ」の6名が人間国宝に選ばれました。このうち、現在も御存命の方は糸入れの「城ノ口みゑ」さんだけとなっています。(PS 2003年1月16日、城ノ口みゑさんも御亡くなりになりました。)
現在、伊勢型紙は着物の染め型としてだけではなく古くて新しいインテリアとしても注目されるようになり、伊勢型紙の愛好者も急激に増加しています。ぜひ、あなたも伊勢型紙の世界に足を踏み入れて見て下さい。
参考資料・伊勢型紙業界産地診断報告書(三重県)